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もう五日目でした。旅人は森の中を彷徨っていました。二日目でなくなってしまった手持ちの食料と水は、森の恵みによって得ることが出来ていましたが、進んでも進んでも森の中。進むべき方向が分からなくなっていた旅人は、立ち止まることが多くなっていました。 「一体どっちに進んだらいいのだろう」 そう独り言ちても答える人は誰も居ません。進めば進むほど、鳥の数も減っているようで、旅人の不安は膨らんでいくばかりでした。こういった不安を感じる時、前に進まないのが最良の策であると、旅人は経験から知っていました。しかしここで進むのを諦めてしまうとこの森に定住することになってしまうこともまた、旅人は知っていました。進むしかありませんでした。 「しかしまあ、とても深い森だなあ」 左手で後頭部をかきながら、旅人はこの五日間数えきれないほど口にした言葉をまた口にしました。木々はとても高く、葉が空を覆い尽くしていました。そのため旅人は星で方位を見定めることが出来ませんでした。また、生えている木は枝や葉がずっと上の方にしかない、 つるつるした樹皮の木でした。一度は木の上に登って方向を確かめようとした旅人でしたが、その滑らかな樹皮の前にはなすすべもなく、諦めたのが一日目のことでした。 木漏れ日を頼りに旅人は慎重に進みました。どこからどのような動物、植物が出てくるか分かりません。生物の気配がどんどん減っているからこそ、今進んでいる森の中には何か大きな力を持った動物、もしくは植物がいるのかもしれないと気をつけねばと思っていました。 腹の空き具合からしてお昼を越えた頃。旅人は道にぶつかりました。コンクリートで舗装された道ではありませんでした。それどころか砂利道ですらありません。獣道でした。ただ、やたらと綺麗に足元の草が倒されている辺り、人間の手が加わっていることは間違いないようでした。 「これでやっと、森を出る方法がわかるだろう」 旅人は五日ぶりに肩の力を抜いてため息をつきました。それから背中のリュックサックを改めて背負い直し、適当に獣道を右に向かって歩いていきました。 しばらく進むと木が切り倒された、小さな広場のような場所に出ました。広場の真中には生物の気配がほとんどしない森の中とは思えないほど、立派な二階建ての建物がありました。漆喰の壁はどこまでも白く、窓のガラスは光が反射していなければそこに存在していると思えないほど透明でした。 旅人は獣道を歩けば森の外に出ることができると期待していましたが、どうやら間違った方向に歩いてきてしまったと思いました。そのまま引き返しても良かったのですが、もうすぐ日も暮れようとしていました。いくら旅慣れているとはいえ、五日間気の休まることなく森の中で野宿を続けていた旅人は、大層疲れていました。綺麗な建物は明らかに人が毎日手入れをしている姿であったので、必ず人がいるだろうと旅人は思いました。 ――もしいい人ならば、一晩だけ泊まらせてもらおう。もし自分に危害を加えるようであったら……。 旅人は腰にぶら下げた小さな銃を握りしめました。 旅人は広場の中を、罠がしかけられていないか充分に注意しながら進みました。ほんの十数メートルのことで したが、旅人は門の前に辿り着いた時、思わずため息をつきました。 その時、おもむろに玄関の扉が開かれました。旅人は玄関の向こうに頭を突きだすような恰好になっていましたので、慌てて体を起こしました。 「いらっしゃいませ」 「は?」 そこにいたのは少年とも少女ともつかない一人の人間でした。白い清潔なシャツにカーキ色したパンツを穿いていました。シャツのボタンの留め具合によるとどうやらその人間は少女のようでした。 「はるばる遠いところから当古本屋にお越し頂き……」 「えっと、すみません。私は客ではないのです」 「と、申しますと」 「森の中で迷ってしまいまして。途中見つけた獣道を辿ってきたらこちらに辿り着いたのです」 「そうでしたか」 少女は、それは大変でしたね、と微笑むと旅人を店の中に招き入れようとしました。 「客ではないのですが、よろしいので?」 「構いませんよ。もう日も暮れようとしています。今から獣道を行ったのでは森の外に出られないでしょう。一晩当古本屋に泊まっていって下さい」 少女から先に、希望していたことを告げられた旅人は少々遠慮しながらも、「それじゃあ、お言葉に甘えて」と店の中に入りました。 旅人は店に入るなり驚きました。旅人が今までに入ったことのある古本屋、いえ、図書館よりも沢山本が並んでいるようでした。二階建てと思っていた建物は天井の高い一階建ての建物で、天井まで伸びる本棚には隙間なく本が入っていました。旅人は思わず、地震があったら命はないな、と思いました。 「この本はどこから?」 「当店に旅人さんがいらしてくれるので……」 「なるほど、それで本が集まるのですね。でも買い手がいないからこんなに沢山……」 思わず言った後、旅人はしまった、と思いました。少女は笑い、 「よく言われます」 と、言いました。 「こちらに」 「あ、はい」 少女に本棚の奥にある一室へと旅人は案内されました。 「ごゆっくり。夕食が出来上がりましたら、伺いますので」 「え、あ、えっと」 「なんでしょう」 「こちらにはお一人で?」 「ええ、それが?」 少女は不思議そうな顔をして、旅人を見ました。 「えっと……大変ですね」 「そうでもないですよ。慣れてますから」 にっこり笑うとそのまま少女は本棚の影へと消えていきました。 旅人が振り返り、案内された部屋を覗くと綺麗に調度品が揃えてありました。とても気持ちの良い部屋で した。森の中での五日間と比べると天国のような一日になりそうなのはすぐ分かりました。 旅人は荷物を置いて、ベッドの上に転がりました。ふかふかで、石鹸の香りでいっぱいのベッドは身体が沈み込みました。目を閉じたらそのまま意識が途切れそうでした。睡魔と戦ったものの、誘惑には勝てませんでした。すぐに旅人は寝息を立て始めました。
扉を開けた少女は、嬉しそうな顔をして、旅人の寝顔を見つめました。 「新しい旅人さんの本。新しい、旅人さんの本」 食堂につくと、齧りつくように読みました。夕御飯を食べながら読みました。あっと言う間に、読み終わりました。 「この人、相当薄い。つまんないな」 文句を言いながら本を本棚にしまうと、 「新しい旅人さん、こないかな」 少女は期待のこもった目で、窓の外の森を見つめました。
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